大栗小栗と凡聖不二

今日、或る方のお宅へお邪魔して座敷へあげていただいた折
お床に掛かっているお軸の文言に何故だか心が留まりました。

時節らしい二つの栗の絵
(最初、大栗を玉葱と見紛ってしまったのですが)
の画賛で

凡聖不二(ぼんせいふに)』

悟りを開くような聖人も衆生の凡人も決して異なるものではなく
同一のものだ、という意味の禅語だそうですが
その表層的な意味合いだけでなく
そのさらに奥にある真意深意が何なのか

普段は余り深く気にすることもないのですが
同じく高取の花器に入れられた柿の照り葉の侘びた佇まいが郷愁を誘ったのか
お待ちしている間、そして帰ってきてから、と
何故だか気になっております。

暮れなずむ夕日を見ながらドボルザークの新世界より
を聞いてしまいました。

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