雛様はどちらのご出身?

当館の玄関を上がり左手に進むと
樹齢300年の栃の木の大火鉢が目に入ります。

この部屋の床の間には
大正時代を色濃く残した『御殿雛』。

雛人形にも関東と関西の違いのみならず、
城下町や地方都市、
農村部など、土地によって様々に異なる雛の世界がありました。

江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、
上方では「御殿飾り」が優勢だったそうです。

建物の中に内裏雛を置き、
側仕えの官女、
庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、
警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を飾り、
御殿を京の御所に見立てたところからか、
桜・橘の二樹も登場しました。

御殿飾りは明治・大正時代を通じて関西で人気があり、
戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、
昭和30年代中頃には百貨店や人形店などが頒布する
一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していったそうです。

当館の御殿雛は 御殿は大正時代、人形は明治時代のもの。

元々は別々に存在していたのですが、サイズがピッタリなことに気付き、
目出度くコラボレーションして当館の月の間の床の間に鎮座ましましております。

雛様の前にツクバって(注:飛騨弁で正座の意)
しげしげとご覧になったり、一緒に記念写真をお撮りになられたりと
当館でも人気ナンバーワン?の座を争っております。

百年以上の時を越え、備品などの紛失、破損は残念無念ではありますが
着物の布地などは大変見ごたえがございます。

大正の御殿飾りと明治の雛人形


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