天の夕顔

突然ですが・・・
中河与一の小説『天の夕顔』をもとに
作詞 なかにし礼 作曲 浜圭祐 歌 石川さゆり という
そうそうたるメンバーによって リリースされることになりました。

この『天の夕顔』という小説をお読みになったことありますか?

1938年(昭和13)に発表された中河与一の代表作で
浪漫主義文学の名作として 
英語、フランス語、ドイツ語、中国語など6か国語に翻訳されました。

実はこの小説には 主人公がここ飛騨市の山之村で過ごした日々が描かれ
大変所以ある小説なのです。

山之村には『中河与一資料室』があり 
大多和峠には『天の夕顔の碑』も立てられています。

中河与一資料室には、『天の夕顔』の原稿をはじめ 
大変貴重な資料が数多く展示されています。

『天の夕顔』は発表時、日本の文壇からは
ことごとく無視された作品でしたが、
永井荷風やフランスのアルベール・カミュからは絶賛を受け、
その時の貴重な書簡も展示されています。

そして碑には モデルとなった人物の実像が刻まれています

~不二樹浩三郎在住之地碑~
不二樹浩三郎は明治三十年二月十八日、
実業家 不二樹熊次郎の三男として大阪に生れ、
同志社大学を卒業した。
柔道を好む一方で、茶道や華道にも通じていた。
大学時代に知った「あの人」への思慕は、
時を経ても忘れられず、自己を高める為、
昭和九年晩秋、ここ山野村を訪れ、
以後西邦本等が新造した小屋で、二回の厳冬を過した。
数奇な運命、二十年にわたる恋愛譚を、
後に作家、中川与一に口述したことが、
昭和十三年発表の小説「天の夕顔」の誕生のきっかけとなった。
不二樹は後に自らも小説「冷たき地上」を書いたが、
平成二年四月十四日、神奈川県で、その浪漫に満ちた生涯を閉じた。
享年九十三歳。

山之村は古川町から約1時間
標高約1000mの高原に位置する7つの集落を総称して山之村と呼びます。
周辺は、昔ながらの茅葺の家や板倉が点在する田園風景があり
日本の里100選にも選ばれている天空の里。
今は雪景色の中に佇む家屋の軒先に
「切干しだいこん」が吊るされ、より旅情を誘う風景です。


One Comment
  1. 八ツ三 さま

    夫婦で伺い、若女将と談笑しながら昼食を頂いたことがあります。
    また、引用頂いた山野村の不二樹浩三郎在住之地碑の説明文の
    著者です。
    一文追加の提言です。
    上から読んでゆきますと、「この説明文を書いた石碑は大多和峠にある」のだ
    と勘違いする人が多いと思います。ぜひ、「この石碑は山野村の石碑山野村にある」
    とどこかに書いて頂くと、大多和峠まで出かけて、「石碑にはこの説明文がない」という
    人が出てこないと思います。

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