平成20年という年の最後の日。
大業でイベントめいた一年の締めくくりの日に敢えて
「日常」を生きるということ
という京都大学名誉教授の上田閑照先生の文(MOKU1月号)
を抜粋させていただきます。
~引用~
一日一日と繰り返されるところに一日の「日常性」があるが
しかし同時に、何か非日常的なことが起るのもまさに一日のうちである。
かくして一日一日の、それ以外にはない私たちの生活は
平常は二重の危険に陥っている。
すなわち一つには、日々の繰返しの故に
その時その時の事に慣れて安易のうちに時を消費し
虚脱した円環として日々が空転するところの
いわゆる日常性に堕する危険である。
あれこれしているうちに、何をしたということもなく
一日が既に空しく終っている。
空しい繰返し、繰返しの空しさ。
もう一つは、それでも日々が新たにもたらす円環が
その一日に起った非日常的な出来事によって衝撃され、がたがたになる。
すなわち日々いつとなしに起る大小の非日常的な事に脚下をすくわれ
日常の生活が乱されるという危険である。
ちょっと何か事が起ると落着いて食事も出来ず
更には不安で食欲もなくなるという有様。
実は表裏している日々のいずれの危険性も自己喪失の日々となる。
このようなあり方が何とかして克服されて
本来の「一日」が生きられなければならない。
~中略~
日々がばらばらではなく、日々が一生であるその「一」が
日々を通す「一」筋として現実にならなければならない。
そのためには、何か具体的な或る事
ごく簡単な小さな事でも、これを毎日必ずすると自分で決めて
そして実行することである。
それによって日々を歩む一歩一歩に一生が集中して現実になってくる。
~引用終わり~
なんてことを徒然にやれるようになればいいなあ
などと性に合わないことを思ってしまうのも
大晦日だからでしょうか。