師走の風物詩?となった
京都清水寺のご住持による“一筆”。
今年の『偽』は皆様も周知のことと思います。
同じく食品(何も食品に限らないのですが)を扱うものとして
他山の石とし、より高い注意を払って臨むべき、ということは素より。
過日、公約?した玄侑宗久さんの著書を手にしたところ
極めてタイミングのよい記述、それも今年の一文字の決定された主旨よりも
もっと素晴らしい(でも出来そうにはありませんが)
その字の解釈が示してありましたので
またしても引用。
~以下 引用~
「人のタメ」と書いて「偽り」と読むが
本当はどれもこれも自分のタメであることを
観音様は心底承知しているのである。
だって結局は、人助けしたいという自分を
満足させたいタメ、ですよね。
(中略)
もしその気持ちが残っていると、感謝されなければストレスになるだろう。
「せっかく私が」という思いが、やがて鬼を生み出す。
~以上 引用終わり~
なんと含蓄のある言葉でしょう。
いわゆる、頭を金槌で殴られたような(痛そう!)衝撃でした。
『偽』という文字にこういう意味が付託されると
ほぼ絶望的に凡人は『偽』でなくなることが出来なくなってしまいますが
玄侑さんは締めくくりに有名な梁塵秘抄より
こう逃げ道を拓いてくれていらっしゃいます。
~以下 引用~
まずは「タメ」意識を離れて善行を遊んでみては如何だろうか。
“遊びをせんとや生まれけむ。 戯れせんとや生まれけん”
~以上 引用終わり~
何となく(というか、ほぼ確実に)マイナスイメージのある『偽』ですが
せめて玄侑さんのおっしゃる意味での『偽』が
一文字が世情で取り沙汰されるような社会になるとよいですね。
ちなみに出典は
玄侑宗久 著 禅語遊心 筑摩書房
でした。