何ともなしに山辺を走らせておりました。
里山というには、人家と小高い山の結界が
土砂崩れ防止のコンクリートと鉄線で厳密に区切られた農道を。
当館から車で6分ほど走らせた
そんな小山連の一つの頂に中世の山城の『小島城』があります。
だいぶ以前、車道での登頂を目指したことがあったのですが
倒木に遮られて断念した記憶があります。
ふと、目をやると小さいながらも真新しい石柱に
“小島城 沼町口”との案内。
裏を見ると平成18年建立とある。気付かなかったわけです。
何ともなしに車を停め、やおらその案内に沿って
好奇心が疼きだしました。
山道が埋もれていればそそくさと引き返すことを前提に気楽な気持ちで
最初から急斜面なつづら路を登っていったのですが
石柱同様最近補強されたのか、期待に反して?
城面までの道が続いておりました。
とは申せ、群雄割拠、戦国乱世をまさに切り張りした時代の実戦向きの城。
高低差130m程度の小山とはいえ10分ほどかけて息も絶え絶え。
初めて主館のあった場所に立ち周囲を望むと
北面にそそり立つ絶壁から神原(かんばら)峠が一望。
そういえば、史実にも北飛騨神岡の豪族 江馬氏との覇権争いがあったようで
眼下の景色が、まさにそれを裏付ける格好でありました。
帰り道は城郭跡に建ててある地図に則って
別のルート 杉崎口から降りようかと試みたのですが
こちらは別名「さむらい口」とも書かれてあり更に急斜面であるだけでなく
歩道整備も不十分なようで
すごすごと元来た道から帰ったのでした。
飛騨古川は高山と同じく
戦国末期から江戸にかけての城造り、町並み整備の恩恵で
今もって観光資源として
私達のアイデンティティとしてその光が当たっておりますが
それ以前、鎌倉時代あたりからの“つわものどもが夢の跡”も
華々しさはありませんが
確実に質実剛健な跡を私たちに遺してくれているのです。
先週末の江馬氏館オープンといい
金森氏、小京都というメインイメージとは異なる
郷里 飛騨 の側面を垣間見ることが出来て嬉しい限りです。